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東京高等裁判所 昭和39年(う)1995号 判決 1965年2月23日

被告人 飯島光江

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

被告人が右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

本裁判確定の日から一年間右罰金刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、検事鈴木久学が差し出した高崎区検察庁検察官事務取扱検察官検事斎藤正義作成名義の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断をする。

定期バスの運転手は、バスが停留場から発進する場合において、自からその発進によつて起りうべき乗降客その他一般通行人の危険を防止するため細心の注意を払うことが要求されるがその発進に当つては、車掌がいる場合には、その発車合図をまつて発進すべきものとされており、この意味において、車掌も、バス発進により起りうべき危険について、運転手とその責任をわかたなければならない。

かように車掌の業務も人の生命身体の安全に関するものであるから、その業務に従事する者は、その業務の性質上、危険を防止するため、法律上、慣習上、もしくは条理上要求されている一切の注意を払わなければならない義務がある。

本件は、被告人が車掌として同乗し、西巻義夫が運転する定期バスが群馬県群馬郡群馬町大字足門八二二番地先の「足門停留所」に停車した際、定期バスから下車した乗客が、その下車した地点の状況が後記説明するように道路脇の側溝との間が狭かつたため、バスの左側に沿つて、身体を斜めにして前方に向つて歩いているとき、車掌の発車合図に従つて発進したバスの左前部サイドバンバーの先端に着衣を引つかけ約一二〇米引きずつたうえ、その乗客を負傷させた結果について、発車合図をした車掌である被告人がその過失責任を問われている事案である。もし、その停留場の状況が、下車客が安全な行動ができるような場所であれば、あるいは原判決のいうように、乗客が下車を完了してしまつた以上、爾後の責任を追求することは無理である場合も考えられる。しかしながら、記録に現われている証拠及び当審の事実取調の結果によれば、本件定期バスが群馬県群馬郡群馬町大字足門八二二番地先の「足門停留所」に停車した際には、右バスと道路の左端との間隔がわずかに約七〇センチメートルしかなく、しかも、右道路の左端には、巾約七三センチメートル、深さ約一七三センチメートルの側溝があり、なお右側溝には、右バスの昇降口のやや後方はコンクリート製の蓋がしてあるが、その前方は、右バスの先端の相当前方にかけて蓋がなく、露出していたことが明らかである、もつともこの点については、被告人及び本件定期バスの運転者西巻義夫は、いずれも、右バスが右足門停留所に停車した際の、右バスと道路の左端との間隔は約一メートルであり、約七〇センチメートルという程狭くはなかつた旨を主張している(原判決もこの主張をいれ、これをその判断の前提としている。)が、本件被害者堤つる予は、右バスと道路の左端との間隔が狭かつたため、右バスの車体に接触しないように、右バスの方に背を向けるようにして体を斜めにしたまま、右バスの左側に沿つて、その前部の方に向いて歩いていた旨を証言しており、右証言には真実性があると認められることを考慮すれば、被告人等の右主張はとうてい採用することができない。

そして、前記認定のような状況で停車した定期バスから下車した乗客が、右バスの方に背を向けるようにして体を斜めにしたままの姿勢で、右バスの左側に沿つて、その前部の方に向いて歩いている間に、右バスを発進させた場合には、右バスが右乗客に接触する等の危険がありうることは当然予測できるところであるから、右バスの車掌としては、右乗客の動向に十分の注意を払い、その安全を確認して後に運転者に対して発車合図をしなければならないものというべきである。もつとも、被告人が右西巻に対して発車合図をした時は、たまたま右堤が被告人の死角内にあつたことは否定できないが、前記認定のような本件の状況のもとにおいては、被告人としては、もともと、右堤の動向に注意し、その安全を確認した後に運転者に対して発車合図をしなければならなかつたわけであり、なお、当審の検証の結果によれば、同女が右バスを下車してから、右バスの前部附近に達する直前までは、車掌の定位置から同女の姿の一部を認めることができることが明らかであるから、被告人が右西巻に対して発車合図をした時に、たまたま右堤が被告人の死角内に入つていたことをもつて、被告人に過失がないとするわけにはいかない。また、弁護人は、車掌は、乗客の乗降の確認のうえ、発車合図をすれば足り、一旦下車した乗客については、一般通行人と同様、車掌にその安全確認の義務はないとの趣旨を主張しているが、車掌もバス発進についてひき起された危険については、運転手とともにその責任をわかたなければならないことは前記のとおりであり、車掌として、下車した乗客について、前記認定のように、バス発進による危険が予測できる状況にあるときは、その安全を確認したうえで、発車合図をすることは、その業務上当然の義務といわなければならない。

従つて、被告人に過失がないとして被告人に無罪の言渡しをした原判示の事実認定には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があつたものというほかはないから、論旨は理由がある。

よつて、本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条により、更に、自ら、次のように判決をする。

(罪となるべき事実)

被告人は、東武鉄道株式会社自動車局渋川営業所高崎出張所に勤務するバスの車掌であるが、昭和三七年一〇月一七日午後二時五五分頃西巻義夫の運転する、同局の、高崎発伊香保行きの定期バス(当時群二あ一三八〇号)に乗車勤務中、右バスが群馬県群馬郡群馬町大字足門八二二番地先の「足門停留所」に停車した際、乗客堤つる子外数名を下車させた。しかし、右停留所附近には、道路の左側に巾約七三センチメートル、深さ約一七三センチメートルの側溝があり、しかも右バスは道路の左端からわずかに約七〇センチメートルしか離れていない個所で、しかも前記側溝には、右バスの昇降口のやや後方の部分にはコンクリート製の蓋がしてあるが、その前方には、右バスの先端の相当前方にかけて蓋がなく、露出している個所に停車したのであるから、定期バスの車掌である被告人としては、下車した乗客の動向に注意し、その安全を確認した後に前記西巻に対して発車合図をしなければならない業務上の注意義務がある。それなのに、被告人は、その注意を怠たり、右堤が、右バスに背を向けるようにして体を斜めにしたまま右バスの左側に沿つて、その前部の方に歩いていることに気付かず、漫然右西巻に対して発車の合図をし、同人に右バスを発車進行させた過失によりたまたま右バスの前部附近を歩いていた前記堤の着衣が右バスの左前部サイドバンバーの先端に引つかかり、同女を約一二〇米引きずつたまま進行した結果、同女に全治約二一日を要する左耳翼、左足背及び左手背の擦過傷を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当する。そこで、本件犯行の情状について考えてみると、被告人には判示のような過失があり、その責任を免れないとはいうものの、本件は、たまたま本件定期バスの左前部サイドバンバーの先端が被害者の着衣に引つかかるという不運な出来事によつて生じたものであつて、過失の程度は比較的軽く、又その結果もさ程重くはない。そのうえ、本件事故の第一次的責任者はむしろ本件定期バスの運転者であると認めるのが相当である。すなわち右バスの運転者としては、右バスを判示のような状況で停車させた場合には、下車した乗客の動向に注意し、その安全を確認した後に発車進行しなければならない注意義務があり、車掌の発車合図があつたからといつて、その注意義務が軽減されるものではないのに、その注意を怠つて、被告人の発車合図により、漫然と発車進行した過失があつたものと認められ、なお発車進行した際、たまたま被害者が運転者の死角内に入つていたとしても、その直前まで反射鏡によりその動向を看取することができる状況にあり、運転手の過失を否定するわけにはいかない。又被害者は、バスの乗換えを急ぐため、狭いところを多少無理をして歩いていたものと認められるので、被害者にも多少の落度があつたものと思われる。なお被害者との間に円満に示談が成立していること、もともと、本件停留所の位置の定め方に適切を欠く点があり、また、サイドバンバーの取付け方にも不備の点があつたこと、等諸般の状況を考え合わせると、被告人の責任は、さして重いというわけにはいかない。そこで本件については、所定刑中罰金刑を選択し、その所定の金額範囲内で、被告人を罰金一万円に処し、被告人が右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条に従い、金五百円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置し、なお情状により、同法第二五条第一項により、本裁判確定の日から一年間、右罰金刑の執行を猶予し、原審及び当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書の規定に従い、これを全部被告人に負担させないこととして、主文のように判決をする。

(裁判官 加納駿平 河本文夫 清水春三)

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